Sunday, February 17, 2013

どうそうーー;カフェの騒動衆ーー曹洞宗の托鉢僧さまご来店ですよ

昼寝して開けましたです話仁ー.ー

いらっしゃいませ〜〜〜 再生の旅さまーー ありがとう写真日記
なんだかー、しんみりしまーす。お寺さん、好きなわにーーv

両手を寺で合わせてみるとね、願掛けなんかできない鎮魂の感じがしてね、
それが、わにには合うみたいだ差ーー。

底辺で生きる地道さが寺にはある感じだ和仁。
亡くなった人の労苦を愛しんでーー葬儀を手伝う地域の基地に成り得ると思う差。

敬いますーー和尚さん方をーーそれが和仁だもん根。


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金沢大乗寺逍遥


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雪解ける音にも加賀の大乗寺 玉宗

朝方の冷え込みがあった昨日、腰の調子がよくない筈の婦人がお茶のお稽古で金沢へ行きいたいという。大乗寺の日曜坐禅会があるので、私も時間つぶしに一緒に出掛けた。日中は日も差して青空が垣間見えるような天気。それでも郊外となる大乗寺山は鬱蒼とした松や栂の大樹に囲まれて日差しも少なく弱かった。残雪も多く、金沢市内よりは、半月は季節が遅れている感じさえしたものである。
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毎週、午後からの日曜坐禅会。もう何回目になるのだろう。私が安居していた昭和50年代からずっと続いているのであろう。先日も記事にさせて戴いたが、現在大乗寺僧堂に安居している雲水さんが少なくなっている現状。心配しながら会場となる坐禅堂横の衆寮の受付へいくと、そこには雲水さんが一人坐っていた。参禅者はいつものように20名を越える多さである。記帳しながらを雲水さんに「今、大衆さん何人?」と尋ねてみた。「二人です」という応えである。二人でも作法通りに日々を過ごしているのであろう彼等を思うと胸が締め付けられる思いだ。


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回廊や露地の床板などは清掃が行き届いてしぶく光っている。二人では掃除をするだけで一日が終ってしまうであろう。仏道とは畢竟、自己が自己を担い、自己が自己を変える。一人が世界を担い、一人が世界を変える。それが絵空事だとは思っていないが、僧堂が僧堂であるためには、そのような眞箇の道人を打出するよう機能しなければならない。5人寄れば叢林とも謂われる。初心から一人では仏道たりえない。

実際のところは堂長さんの他に、役寮さんと呼ばれる管理職のお坊さんがその外にも数名常在しており、共に僧堂生活を営み、又、雲水の指導に当たっておられ、修行者の受け入れ態勢に問題はない。全国から多くの若い雲水さん達の上山することを願わずにはいられない。


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大乗寺は永平寺三代徹通義价禅師開山の道場であり、弟子に当たられる瑩山禅師が宗門の本山である總持寺の開山となった事実を知らない者はなかろう。また、大乗寺の伽藍は徹通禅師が中国から招来した古来の禅宗様式に則った初回道場でもある。ここで何百年に亘って多くの修行者が精進し、巣立って行ったのである。七堂伽藍は勿論のこと、その柱や石塔、境内の一木一草に至るまで彼等の目に触れ、耳に触れ、身に触れ、心に触れ、迷悟に触れ、生死去来に触れ、弁道に触れてきた魂の歴史がある。

歴史とは畢竟、こころある者にだけ引き継がれていくものだろう。それが宗門の大事であるとの認識が宗門自体にあるのならば、一地方僧堂の現状だということではなく、体制を挙げての支援があってもいいのではなかろうか。私はそう思っている。

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「金沢大乗寺逍遥」


雪しづる音にも加賀の大乗寺

禅堂の三和土に残る寒さかな

雲水の面変はりして春寒し

境内をはみ出してゐる藪椿

結界を流れて来る雪解水

その奥に余寒ひかへし伽藍かな

春日射し研ぎ澄まされて地にとどく

をらざるがごとく人ゐて春遅々と

春禽の蹴散らしてゆく梢の雪

残雪を山のごとくに積み置きぬ

雪隠に一輪点じ紅椿

一喝に山の眠りの覚めしかと

参道の際まで雪の退きぬ




涅槃の一風景




<<   作成日時 : 2013/02/17 05:07   >>

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鳥が来てもの言ひたげや涅槃像 
玉宗


二月は涅槃月でもある。
先日、ちょっとした用件で家族でお寺のアルバムを見ることになった。夫人の五十年以上も前の写真には思わず笑ってしまったことである。昭和30年代の時代を御存知の方には想像できるであろうが、まだ日本全体が田舎めいた、仄々とした雰囲気、豊かさの中で生きていた頃である。夫人が気の強い餓鬼大将的存在であったことが判明した。そして小さいころから猫と一緒に暮らしていたことも。

それにしても、アルバムの中のほとんどの人が亡くなっていることに気付き茫然とする。
今、地球上に生きている人間の数より、人類発生以来の亡くなった者たちの数が遥かに多い。私の縁者だけでも生きているものより亡くなっていった者が圧倒的に多い事実。あの世もまた賑やかなことではあろう。生と死とは何と遥かで身近な関係であろうと実感する。生と死は他人事のようになんともなくて、わがことのように気なってしょうがない。

人間一代の寿命が限りあることは現前の事実でだれも疑うことはしない。それにしても、私の「思い」も「肉体」も、「内」も「外」も、それは夢幻のような、移り行く、当てにならない代物である。
人間が問うて已まない命題。永遠なるものとは何か?確かなものとは何か?

限りあるいのちが断絶しながらも、引き継ごうとしているものがあるのかないのか。生を生たらしめ、死を死たらしめ、有を有たらしめ、無を無たらしめ、全を全たらしめ、一を一たらしめる、そのような「存在性・はたらき・法爾・自然なるもの」がある。「いのち」はそのような永遠にして、確かななるものと共にあってほしい。それが私の信仰でなければならない。

私がいてもいなくても、意味が有ってもなくても、有情無情、なんともなくてあり難い、煩悩丸ごと呑みこみ、吐きだす涅槃の一風景。いのちはいのちを越えようとすることによって辛うじていのち足り得る。畢竟それ以外に、いのちに望むことはないようにも思える。




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「草萌ゆる」


風はまだわがもの貌に榛の花

まんさくの花といふにはに滑稽な

望楼の沖はアリラン藪椿

はだれ山越えて薬を売りに来る

安吾忌や路地に月日の吹き溜まり

草萌ゆるわが身色褪せゐたりけり

草萌ゆるまぶしき日々の始まりぬ

風船の空に引かれて土手の上

春浅き庭に鳥来て去りにけり

魚は氷に上りにんげん已めたがる



やっちまったよ・夫人の場合

<<   作成日時 : 2013/02/16 04:36   >>

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遅き春あなたにだけは言はれたくない 玉宗

昨日は輪島市内の教区寺院の涅槃会法要に随喜した。
永福寺の涅槃会は24日、興禅寺は3月13日である。出掛ける際に夫人に声を掛けると典座の奥で後片付け作務のようなことをしていた。いつもの事だから気にもかけずに出掛けたのである。

法要を済ませお昼に帰山した。
「ただいま」と言っても返事がない。まあ、鼻は利くが耳が遠い夫人である。これもいつものこかと部屋の襖を開けた。
するとそこに夫人がトドのように横たわっているではないか。正確には蠢いていたと表現するべきか。

声を掛ける前に夫人の方が声を発した。

「・・・ん~、おとうさん・・・やっちゃったよ~・・ぎっくり腰。ちきない・・・・、ん~、うごけなくなっちゃった・・」(ちきないとは輪島弁でシンドイといった意味である)

「おい、大丈夫か!」

「だから、大きな声出さないでくれる、ちきないんだから。大丈夫よ。二三日じっとしていれば直るらしいから」

「病院へ行けよ!」

「大丈夫だって・・」

「おまえ、ほら、なんだっけ、脊椎狭窄症だかってやつだろ?脊椎折れているかもしれないじゃないか・・・診断した方がいいって!トイレには行けれるのか?風呂にも入れんだろう?どうする?病院へ行こう!」

「だから病院へいってもすぐに直るわけでもないし、湿布を張ってバンドして、じっとしているしかないのよ」

「・・・・、困ったなあ」

「お父さんが困ることないでしょ・・」

「だってだれがご飯作るん?下の世話はどうするん?風呂に入れんのだからわしが体を拭くことになるんかい?」

「・・・なに妄想こいてんのよ、大丈夫よ。トイレくらい一人で行けるし、お風呂だって二三日入らなくたってなんのことはないし・・、ご飯はお姉ちゃんがしてくれるじゃない。何にも心配いらないわよ」

「そうかい・・・ならいいけど。・・・病院で診てもらった方がいいと思うんだけどね」

というような訳で、今回の「やっちまったよシリーズ」にはわが夫人が名を連ねた次第。
然し、その状況を聞けば、24日に控える涅槃会準備の為に典座にある重い冷凍庫を一人で動かしたことによるらしい。私が出掛けに動かしてやればこんなことにもならなかったのだろう。日頃、夫人の前では箸より重いものは持とうとしない婿殿である自分が恥ずかしく、後悔している。

そう言えば、年を取るに随って重いものを持ったり担ぐことも少なくなったことは確かである。軽みの俳諧、軽みの人生を生きようとするのはいいが、箸より重いのを持たない男では話しにならんだろうな。少しは生活に負荷をかけて生きなければならんようではあると思っている次第。



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「遅春」


春もそうだが死ぬのも遅きふるさとよ

遅き春あなたにだけは言はれたくない

入れ歯にしますか梅がほころびましたが

人生を捨てたくて捨てたくて朧なり

しやぼん玉吹けども吹けども遠流の地

人なきあとも寄せては返し春の波

瑞穂なる霞の底や秋津島

恋猫となり果て尻を嗅ぐことに

佐保姫にそそのかされて以来なり

残雪のまぶしき訣れだれもみな



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